2021年7月28日に飛び込んできたニュース、
とてつもない哀しみがメタル界を襲いました。
元SLIPKNOT(スリップノット)のドラマー、
Joey Jordison「ジョーイ・ジョーディソン」が、
2021年7月26日46歳の若さで死去しました。
死因は明らかにされていませんが、
睡眠中、安らかに息を引き取ったとされています。
メタル界の根本を変えたバンドSLIPKNOT(スリップノット)の中心人物として、
あまりにも早く人生を駆け抜けたジョーイ。
今回はジョーイ・ジョーディソンの一生を振り返ります。
SLIPKNOTは1995年9月、アメリカ、アイオワ州デモインで、
Paul Gray「ポール・グレイ」、ショーン・クラハン「Shawn Crahan」によって結成。
その後ジョーイらが加入し、6人編成のバンドとして、
12月にはライヴをするまでにいたりました。
その後1998年にはロードランナーと契約。
1999年にはアルバムSLIPKNOT「スリップノット」でデビュー、
あらゆるジャンルを飲み込んだサウンドは、
200万枚を売り上げたアメリカはもちろん、
日本でも初の来日公演が全公演即日完売するなど、
世界的な人気バンドに。
楽曲を通して伝わってくる緊張感に、
圧倒的な重激音とどこかキャッチーさ溢れるカオティックなサウンド、
既存のメタル、ヘヴィロックとも異なり、
予備知識無しで聴くと混乱してしまいますが、
1stアルバムからやはり圧倒的でした。
2001年には2ndアルバムIOWA「アイオワ」をリリースし、
日本でもオリコン初登場4位と驚異的な人気に。
正直ここまでヘヴィなサウンドがオリコン上位入りするとは、
今思えばとんでもないことでした。
ジョーイの手数が多く、正確なドラミングそして高速のブラスト・ビートと
テクニック面でバンドを支えたのはもちろん、
ベースのポール・グレイとともに作曲面でもバンドを支えました。
(ジョーイとポールが作曲し、
他のメンバーとともに編曲していく方式)
2004年には3rdアルバムVOL.3: (THE SUBLIMINAL VERSES)
「VOL.3:(ザ・サブリミナル・ヴァーシズ)」、
2008年にはALL HOPE IS GONE「オール・ホープ・イズ・ゴーン」をリリースし、
世界出来大ヒットを記録するも、
2010年5月24日、ポール・グレイが急逝。
そして2013年12月12日にはジョーイが脱退。
プレイ面でも最強のリズム隊として、
作曲面でも凶悪な楽曲を産み出した2人が
SLIPKNOTから去ることとなりました。
ジョーイ脱退の理由としては、
「横断性脊髄炎」が原因で、
足の感覚がなく、ドラムをプレイすることができなかったとされています。
(バンドからの発表当初、ジョーイは脱退はしていないとコメントしていました・・・。)
ジョーイのSLIPKNOT以外の活動では、
MURDERDOLLS「マーダードールズ」。
旧友Wednesday 13とともに結成し、
ジョーイは素顔でギターを担当しています!
他にもVIMIC、SCAR THE MARTYR、SINSAENUMで活動し、
素顔でドラムを務めていました。
こうして超絶ドラミング、ギター、作曲と多彩なジョーイですが、
(ちなみにベース、キーボード、ピアノも出来るとのこと)
ギターを始めたのが5歳、
ドラムは7歳の時に始めており、
どちらも独学とのこと。
独学であのドラミングとは・・・。
天性の才能に加え、
尋常ではない努力があったことは想像に難くありません。
(ちなみに影響を受けたドラマーはLED ZEPPELINのJohn Bonham「ジョン・ボーナム」、
THE WHOのKeith Moon「キース・ムーン」だとか)
SLIPKNOTでの活動はアルバム4枚と、
思ったよりは少ないのですが、
残したインパクトは計り知れませんでした。
SLIPKNOTがデビューした頃はいわゆるオルタナティヴ・メタル(ラウドロック)の全盛期。
グランジやヒップホップ、エレクトロとメタルが融合した、
KORN、LIMP BIZKIT、RAGE AGAINST THE MACHINEなどが、
人気のある時代でした。
そこにそれらのバンドよりも凶悪、極悪、激重、強靱で、
キャッチーさをも併せ持つ曲で世界を飲み込んだ・・・。
時代を変えてしまうほどの曲を作り上げた、
ジョーイとポールのなんとも偉大なことか・・・。
奇しくもこの2人は強靱なリズム隊としてバンドを支え、
あまりにも早く鬼籍に入ることとなりましたが、
その名はずっと残り続けていくことでしょう。
しかし46歳はあまりにも早い・・・。